October 04, 2012

Sedona

旅行嫌いの私が
友人の訪問も手伝って重い腰をあげて行ってきたセドナ
スピリチュアル、癒し、またパワースポットとしても知られる街

折角この街まで来たんだから、と
初めてサイキックリーディングなるものをしてもらうことに

軽い気持ちでいた私は
小部屋に通されサイキックリーダーなる方にお会いした途端
「あなたは小さい頃から大人の内の内にある嫌な部分や本当の気持ち、周りの人間のことがよくわかりすぎて、みなくてもいい部分までみえてしまって苦しかったでしょう?それは今もそうね。それで自分のことを周りや人のために使ってずっと生きてきたのね。自分の人生ではなくて、周りが生きてほしいあなたの人生を優先してきた。でも今度はあなた自身の番よ。周りがあなたにどう生きてほしいかではなくて、自分が本当に幸せだと思うことだけを考えなさい。周りはもう関係ないのよ。」と一息に言われて
突然のその言葉にぽろぽろと涙が出てきてしまった
もう自分が本当に幸せだと思うことだけに生きなさいと
はっきりとそう第三者に言ってもらえることの安心感


そして少し落ち着いてから
「あなた、音楽がすごく合ってるわね。でもあなたの使命は、音楽だけじゃなくて、カウンセラーみたいなことよ。後々は色々な人があなたにアドバイスを求めてやってくるでしょう。自分の演奏活動もそうだけれど、人に教えることも、とても合っている。なぜならあなたは音楽だけじゃなくて、人に人生を教えることができるから。あなたの音楽や言葉で救われる人がいる。あなたは音楽や言葉、文章を通して、人をカウンセリングする力がある。それは一生の使命としてこれからもずっと続けていきなさい。でもそれはあなた自身もやりたいことだからいいでしょう?」と。 

他にもたくさん
守護霊の方のお話や実際に何月に〜があるよ、というような
ちょっと怖いけれど物理的なお話まで
でもそれはすべて、当たってる!というような
占い的なそれとは全然違う魂の言葉で 

良い言葉がたくさん詰まっていたので
セッションを録音しておけたらよかったな、と思ったのだけれど
その時胸にこみ上げてくるものは
やっぱり録音では得られないものだか

後々忘れてしまったとしても
それでも必要な言葉は絶対に残るし
何をどうしたって忘れないだろう


セドナ以外では
たまにこういう方にみて頂ける機会があるのだけれど
いつも一番素直に思うのは
突拍子もなく違う人生を歩んできていなくてよかったな、ということ

ちゃんと自分に合った
与えられたものを生かした人生を歩んでこれていてよかったな、と
ものすごく合わないことをやっていたり
魂の方向とは全然違う方を向いてしまっていたり
いるべき場所とは全然違う場所で生きてしまっていたら

そうはなかなか思えない
でもそうではないから
何を言われても、どんな言葉を頂いても、
いつも、あぁそうなんです、とちゃんと聞くことができ

腑に落ちる言葉としてとても納得できるから
本来与えられた魂や能力、現世でこれをやりなさいと
与えられた学びや経験とは全然違う方向にいっていたら
それはそれで今ある苦しみや寂しさとは

また全然違った苦しみになってしまっていると思うのだけれど
そういう意味では
しなくてもいい苦労や試練は通っていなくて
ちゃんと経験しなくてはいけない苦労や試練だけを
やらせてもらえている人生なんだな、と思える

そう思えることが一番の安心でもある

でもこういうものをただ頼りにしているだけでは
何の意味もなくなってしまうし
最終的には自分だけの人生だから
こういうものも超えていかないといけないな、と改めて思う 


*写真*
絵の具で描いたような青い空、とよく喩えられるけれど、
写真加工は一切なしで、この空の青さ。
真っ青な空と赤土のコントラストがどこも素敵だった。
セドナに着いただけで、肌がビリビリしてきたり、
肌から金粉が出てしまう人もいるとか。
私は残念ながら?そんな反応は全くなかったのだけれど笑、
でもセドナに降り立って一つ思うことは
世界は広いな、ということ。
それは行かなくてもわかっていたことだし、
取り留めもないけれど、ほんとうにそう思った。
遥か彼方の島国で起きていることなんて、
嫌な言い方をするならば、もう本当にどうでもいいし、
そしてさらにこんな小さな自分の周りの出来事なんて、
もうほぼほぼどうでもいいことばかり。笑
でもそう感じさせることができるのが、
自然のすごさであり、パワースポットという意味なのかな、と思う。

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