April 17, 2014

Marc Johnson

素晴らしい芸術家であり
永年フェルメール・クァルテットのチェリストを務めた
マーク・ジョンソン
シカゴにて、私はフェルメールのメンバーと一緒にいた最中
突然届いた訃報

フェルメールのCDなどを聴くと
一音一音、そのあらゆるフレーズで
ここで意見を言い合い、ここで話し合いをし、
この部分は誰々がどうしても譲らなかった、などと
その音、その一部始終を今でも思い出すと言うアシュケナージ氏 
彼らが共に積み重ねてきた時間の重みと
クァルテットという"人生"を想う

薄っぺらい言葉になってしまうけれど
半世紀以上をずっと共に
同じ音楽をしてきた仲間の死というものが
他のメンバーにどんな風にうつったのか
本当の本当の心の中は
とても想像を越えるものなのだろうけれど
歳を重ねた人間たちの死の受けとめ方は
とても静かで深く
それぞれの悲しみ方と
それぞれの死への姿勢があるのだなぁと感じた

もう解散してしまっていて
もう一度聴くことができないことは
もちろんずっと前からわかってはいたけれど
もうほんとうにフェルメール・クァルテットを聴くことは
二度とできないんだぁという
とても単純で残念な気持ちだけが残る

お会いする度
いつもとても優しく接して下さったマークのことを思い出すと
あのあたたかい笑顔に今でも心が優しくなる

心からご冥福をお祈り致します
My deepest condolences. R.I.P. Marc Johnson

April 01, 2014

April showers

4月1日

11歳で日本を離れてから
少しの帰国期間はあったものの
海外生活も人生の半分を越えようかとしているところ
すべてが9月始まりである
欧米の国際基準に慣れてしまっているせいか
4月、この春という季節が
始まりだという気持ちを忘れてしまいそうになる

アメリカには"Cherry blossom"はあるけれど"桜"はないので
日本のお花見とは程遠いけれど
タイトル通り4月の雨に降られながら
やってきたお気に入りのカフェで
いつもお決まりの窓際の席に座り
帽子を窓にかけブックスタンドを立て
コーヒーを片手に静かに読書をする
お洒落で素敵なおじいさんを眺める朝

こだわり抜いた珈琲の香りが漂う中で
どんな1日が待っているんだろうという気持ちになる