January 22, 2011


休み明け無事極寒のシカゴに戻り
新たなセメスターの始まり
久々の自分の部屋
天井が高い
また一気にすべてが始まっていくことも
また急に独りになることにも
だいぶ慣れた気がする

久々に音楽関係の友人たちに会い
いつも不思議に思うのは
自分が音楽をしているのに
音楽関連の持ち物を持っている人が
とても多いということ 

自分がヴァイオリンを弾くのに
ヴァイオリンのキーホルダーだの
自身がピアニストなのに
ト音記号のモチーフのアクセサリーだの
そういう人が多い 

ずっとサッカーをやってきた人が
携帯電話にサッカーボールのストラップ
ずっとバスケットをやってきた人が
バスケット関連のものを身につけている 
バンドマンがギターのキーホルダー 

そういうことが私にはよくわからない
わかり易すぎてそのまますぎて
よくわからない

なにかをするということは
人間の心の中の
そういう場所にはないはず

やれ音楽が好きです
やれこの楽器が好きです
だからそれを身につけていますとか
このスポーツが好きで昔からずっとやってきました
だからそれ関連のものが好きで
身につけていますとか

なにかを好きということも
なにかをやるということも
そういうことじゃないと私は思う

同じく
そのなにかをしている人に
それに関連するものを贈ろうという感情も
私にはよくわからない

例えば野球選手に
バットやグローブのモチーフのものを贈っても
もらった相手はとても困るんじゃないかなと
思ってしまうから
そしてもしも優秀な野球選手が
バットのキーホルダーを付けていたら
なんてつまらない人間だろうと
思ってしまう気がする

この人からこれを取ったら
なにも残らない人間にだけは
ならないようにしたい
本当に好きで本当に真剣で
本当にひとつをやっているなら
もっと人間の中の大事な場所にあって
隠すべき感情があると思う


*写真は実家近くの
Stanford University内の教会
年中暑くあまり好きではないカリフォルニアで
唯一好きな場所