September 30, 2010

人はよく海外に出たいとか
外に出れば何かが見える何かが得られる
なんて思いがちだけれど
そんなことは決してない
どこにいても同じだ
そこにいてみえないものは外に出てもみえない

そして
こんなに恵まれていて平和な世の中で
どこどこでじゃなきゃ学べない
どこどこでしかできない
なんてことは
もうない気がする
きっとない
本当にやりたいことなら
どこでだってできるはずで
本当にやりたくないのなら
いつだってやめられる

どこへでもいける
だからここにいる、なんて
良く言ったものだけれど
本当にそう
だから私はここにいる

物事は複雑なほうが深いとか
海外の方がカッコいいとか
やっぱりそれは違う
時々それをちゃんと確認しながら生きる


明日校内の小さなホールだが
ヤナチェクのヴァイオリンソナタを弾く
大きな瞬間ではないこういう時こそ
ちゃんとしっかり伝わってしまう
心を澄ませ磨かなくては、と思う

September 22, 2010

ART is long, LIFE is short

授業はもちろんクラシック音楽がメインだけれど
コンテンポラリー期に入った今
エルビス・プレスリーやビートルズのことなども
切り離しては考えられない

その中の
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの出逢いについて

ある日ジョンがヨーコの個展に足を運んだ時
入口を入ったら螺旋階段があり
それをずーっと上っていたら
そこに"YES"と書いてあった
それで恋に落ちた、と

いいなぁと思う
でも私は絶対ここで
"NO"と書いてしまうタイプだなと笑 

うまく言えないけれど
否定することが創造の始まり、
否定することですべては始まっていく、と思う
否定もしないで肯定なんてできないし
嫌いなものもなくて好きなものなんてわからない
嫌いな人もいなくて好きな人なんて見つからない
そう思う
否定することは相手が人間であれ物質であれ
時にそれらを傷つける
でも傷つけると実際は自分もとても傷つく
否定することはそう容易くはない
エゴイズムでもない
平和でいたいだけなら
きっともっともっと上辺だけで生きることもできる
でもだからこそ
誰のことも嫌わず
なんでも受け入れて人が傷つくことを何も言わない人は
優しそうにみえて本当は自分が傷つきたくないだけじゃないかと

だから
人を傷つけることができる人でいることは
とても大切なこと
誰かに必要とされることに弱くなったりせずに
断ったり拒否することができること一人になれること
それはどこかで誰かを本当の意味で守ることにもつながっていくから
否定=自分以上に誰かを想える、
そういうことへの一歩だな、と日々思う


*写真*
街中に突如現れた目玉
街全体がつくづくアートなシカゴのお昼時

September 19, 2010

ハウススタジオ

先月の撮影風景を少しだけ*
中での撮影はこんな感じ*
外ではこんな*
他にも何着か着させて頂きました*
スタッフの皆様、
ありがとうございました*

September 18, 2010

Hello, Goodbye

アメリカ合衆国のド真ん中で
ダウンタウンはシカゴのド真ん中で
ひたすらビートルズを聴きながら
一日中英語で課題の論文を書いている

そうして自分のアイデンティティーを誤摩化す
どこかに飛ばして別人にならなけば
手が進まない

20世紀の作曲家たち
Bartok, Carter, Ives, Schoenberg, Webernなどについて
読まなければならない本が大量にある
けれど私はこういう時
沢山のことを学んでいる、吸収している、という気持ちはない
むしろ何かを捨てていっている感覚
元々すべてを知っていて
外から得ているのではなく内側でそれに気づく感じ

生きていくことは決して何かを得ていくことではない
むしろ生きていくことはどんどん捨てていくことだな、と思う 
生きていく中で色々なものを得ようと求めるから
おかしなことになる
まず人間は「全部」を持って生まれて
そこから生きていく中でたくさんのものを排除して
大事なものだけを残していく作業を
本当はしなければいけない気がする
生まれ持っている「全部」とは
決して「可能性」という意味ではないのだけれど

だから自分の内にあるものを自分で探し出さなければいけない
そのためには
関わっていく人間もものもちゃんと選ばなくてはいけない
それをわかっていたらもう
浅く広く、人脈を広げよう、友達をたくさんつくろう、
色々な人と仲良くしよう、
生きている限りできるだけたくさんの人と出逢おうなんて
ちっぽけすぎて、とてもできない
みんながもう何者かなのに
自分は何者でもないと思うから、
また何者かになりたいと思って頑張るから
何もなくなる。見失う。
順番がおかしい、逆だよ、と言いたくなる

私は
こうして机に向かって勉強することで
色々なものを選別して捨てていって
またひとつ生き易くなる


*写真は私の部屋からの景色
シアーズタワーと市立図書館&課題の本たち

September 11, 2010

9.11

9.11

いつもは堂々と掲げてある星条旗も
今日は下に降りている
アメリカでは悲しい出来事があった日には
すべての星条旗を降ろすらしい
そして
ダウンタウンにそびえ立つビルたちの窓の明かりは
それぞれに9.11を表現している
日々感じるのだけれど
アメリカ人は「ナンバーワンということ」が
大好きでしょうがない人種だなぁ、と思う
私には心底合わない
かといって
私はオンリーワンが好きなわけではないのだけど
誰がナンバーワンの反対は
オンリーワンなんて言ったんだろう
創造力が乏しすぎる

私は平和が良いことだなんて全然思わない
嫌い合うより好き合うほうがいい
何でも仲が良いほうが良いなんて
全然思わない
そんな世界はちっとも魅力的じゃない
何に対してでもそう
同じ日々の繰り返しすら愛せない人には
毎日が違う刺激的な生活はやってこない
そもそも同じ日々の繰り返しなんて
世の中には存在すらしないのに
刺激がほしいってなんだろう
そんなくだらないこと言わないでほしい
身近な知らないことに目を向けて愛せない人に
大きな世界なんて知ることはできない

戦争もできない奴に
平和は唱えられない
そういうこと

September 10, 2010

Evanston

招待券を頂きイングリット・フジコ・ヘミングさんのコンサートへ。
普段ならクラシックのコンサートへは滅多に行かないのだけど、
珍しく足を運んでみる。

本当に、音は借りもの。
何かを伝えるためのただの道具にすぎない。
そして、愛の曲が多いなぁ、と。
芸術家は、恋愛観がぶっ飛んでいて、
燃えたり枯れたりくっついたり離れたり、
歴史的にみてもそういう人がとても多い気がする。
そしてそれを、それも芸の肥やしよ的感覚で、
肯定されている世界な気がする。

そんなことで肥やしを得なきゃならないのか、
そんなものを肥やしにしても、
"良い"演奏には繋がらないと思うのだけど。
何度も結婚をしなくたって、甘い音は出せる。痛みもわかる。
色々な人をみなくても、
たった一人を愛して、たった一人に愛されれば、
なんでもわかる。
ずっと消えない肥やしができる。
私はそう思う。

芸術家は神様に一番近い、と聞いた。
けれど、人間でいることを忘れたら悪魔になる、と。

私も人間として、
本当に大切な人を、ちゃんと大切にし続けなくては。

September 03, 2010

3/3

改めて見てみると、
自分が演奏しているろくな写真が無く、
大好きなマンゴーや、
南米のフルーツの美味しさを一人で表現している
食べ物の写真ばかり…笑 

ですが、
今回のボゴタ滞在では、
出逢いと呼べる素敵な繋がりもありました。
私は、なるべく生きる世界を広げないように、
いざ本当にほしいものを見つけた時に
ちゃんと掴めるように、
また、
人間は一人で生きて一人で死ぬもの 、と思っているので、
家族や自分以外の人をむやみに求めるのは違う気がして、
本当に必要な人やもの以外は
なるべく持たないようにしている。
けれど、
出逢ってしまう人、
そして必然的に合ってしまう人は、
私が求めていなくても、
自ずと出逢えるものだなぁ、と改めて感じました。 

また、あの場所でみたボゴタの夜景は、
治安が悪いことや、人が何分に一人殺されているという事実、
かばんを持って歩けないこと、
車の中でさえロックをかけなければ危険なこと、
貧富の差が激しいこと、
そんなくだらないこと言わないでおくれよ、
と言いたくなるような輝きでした。
そこで数分間泣き続けることで浄化された
沢山の気持ちを、ずっと胸に刻みたいと思います。

今回開催に携わって下さった方々、
1日目2日目共にお世話になった会場の皆様、
スタッフ、大使館の皆様、
そして、ご来場下さった皆様、
本当にありがとうございました。

2/3

旅行嫌いで観光などに全く興味のない私は、
空き時間の観光もせず、ほとんどホテルに籠っている状態でしたが、
移動中にみる町並みやホテルからの眺めはとても綺麗で、
ヨーロッパとも、アメリカともまた全然違う、
とても素敵な景色でした。
滞在していたホテルの中も、何様式というんだろう?!
建物の真ん中がスコーンと抜けている造り。
壁の色や物ひとつひとつがカラフルで、
またカラフルなのに品があり、とても可愛かったです*

BOGOTA 1/3

少し前のことになりますが、
コロンビア共和国日本学20周年に招待して頂き、
首都ボゴタにてリサイタルを行いました。


その時の写真を一気に載せたいと思います。