August 27, 2014

Reunion

卒業以来久々に
大学時代の友人たちと再会
欧米人たちに混ざってアジア人は私一人だけ

それぞれがそれぞれに近況報告や
自分のフィールドならではの苦しみ、悩みや不安
そういうすべてのことを誇張せずそのまま
何てことないことのようにガンガン話す
彼らと話していると本当にオープンで飾らず
適度に楽観的で良いなぁと思う
それはアメリカという国に初めて来た時
なんて生き易いんだろう、こんな生き方もあったんだ、と
生き方の引き出しが増えた時に少し似ている

日本人の中でもそういう人たちはいるし
欧米人の中でもそうでない人たちもいるけれど
大概の欧米人たちは
良いものは良いと素直に褒め合って
凄いことは凄いねと讃え合う
悔しかろうが羨ましかろうが
認めるところはきちんと認め
妬み嫉みで足を引っ張り合ったり
出る杭が打たれることもない
年功序列でもなければ性別も年齢も仕事には無関係
力のある人が上にいける、というただ単純なアメリカの社会

その分逆に言えば力のない人にとってはとてもきつい社会だし
力がないと簡単に路線からはずされてしまうから
他人の足など引っ張っている余裕はないというのが
正直なところかもしれないし
他人に足を引っ張られて下がってしまう程度にしか飛び抜けていないから
打たれてしまうのかもしれないけれど

物であっても人であっても
裏のあるもの、どこか影のあるものに魅かれる私にとって
皆のその良い意味で奥行きのない生き方や
今みえている現実がすべて
口にしている言葉がすべて
そういう人たちの集いが
たまに思いもよらない方向から自分を救ってくれたりして
必要な時間だったりする


*写真*
The Rotunda at Neiman Marcus

August 13, 2014

お気に入りの可愛い街
その中庭にある巨大チェス
子供達が駒を持って遊び回っていたり
おじいさんたちが真剣に勝負していたり
その横の日陰になったテーブルでは
ラップトップと分厚い教科書を広げて
学生たちが揃って勉強している
私は大好きなボバティーを飲みながら一休み

アメリカの学生は
外で勉強するのが好きだなぁと思う
時にはピックアップトラックの荷台でも
数人が輪になって勉強していたりする
私もシカゴでの学生時代
勉強時間のそのほとんどを24時間営業のカフェで過ごした
アメリカは教科書は自分だけの物ではなく毎年使い回しなので
やたらとボロボロで分厚い教科書と
エッセイの課題が多いのでラップトップは必須
そんな学生たちの空気も懐かしい

当時は楽器を弾く時間を割いてまで
音楽とは一見関係のない普通の"勉強"というものをさせられ
これが一体何になるんだろう、というような時期もあったけれど
物事の本当に大事なことというのは
その時にはその線がどこの点につながっているのかは見えなくて
後になって初めてわかることの方が多く
今ではちっぽけだけれどその知識こそが
世の中で生きる些細な喜びの度合いを上げてくれているし
実は本業とは関係のないものこそが
自分を本業の中でまた違うステージに押し上げてくれる気がする

日本でもそうだけれどアメリカでも
学校の勉強ができることと頭が良いことは違う
勉強ができるよりも頭の良い人がいい、
彼/彼女はクレバーだけれどワイズじゃない、
なんて言われているけれど
"学校の勉強"ができる人の方が
私は好きだなぁ、と思ったりする時間