November 11, 2010

11.11.

今日は母親の誕生日

今ではもうすっかり友達のような親子になってしまって
なんかおもしろいことないのー?と
暇つぶしに電話をしてくるような母で笑
離れていても、夜な夜なガールズトークで
盛り上がったりしているのだけれど笑

ヴァイオリンの勉強の為ドイツに渡った時、
小6から高1まで、という思春期真っ直中に
敷居もない一間の家に母娘二人で暮らしていた

子供にとって親はいつも絶対的な存在で、
それ故に、親の間違いや頼りない姿
どこか感情的な人間らしい姿は見たくない、
と思ってしまう
少なくとも私は小さい頃、
親のそういう姿は、なるべく見たくなかった気がする

けれど外国で密接に生きていて、
自分が成長していく中で、
親のそういう面を見なければならないことも
たくさんあった
それがその頃の私にはとてもきつかった

けれど、
あぁ、母も人間なんだな、と気付いてから
私はとても楽になった
今まで母は私にとって絶対的で間違いのない存在だったけれど、
母もただの少女であり女の人であり妻であり母親であり
一人の人間なんだな、と気付いた
だから間違いも自分と違うことも、もちろんある
自分が長女だろうか次女だろうが長男だろうが次男だろうが、
いつになってもその子供がその年になることは
母親にとってすべてが初めての体験で、 
初めてのお母さんなんだな、と思う
そう気付いてから、
怒られることも、ケンカになることも、
なにかをしなさい、と言われることも
もうなくなった
人間と人間が一緒に暮らしている、
人間同士が同じ家族の輪の中で生きている、
という形になった気がする

だから、考え方やしている哲学も違う
でも、あぁ、この人はこういう風に考えるんだな、
でも私はこう思うよ、と
家族の輪の中でちゃんと説明できる
そういう形が出来上がっている
従う必要も合わせる必要も影響を受ける必要も、
本当の意味では、ない 

もちろんいつまでたっても子供にとって親は親で、
また親にとっても、
子供が40歳になろうが50歳になろうが、
子供は子供のままなのだろうし、
私も、いつまでも感謝そして尊敬はできるけれど、
精神的にはもう彼らをずっとずっと超えていかなければ
いけないんだな、と思う

小さい頃、今以上にとにかく移動が多く、
5日おきくらいに違う国を移動していたこともあった
でもそのどこへ行っても、
すべてを手話(ボディランゲージ)で通す母

ある時はロシアに向かう飛行機の中、
小さな飛行機に乗客が3人しかいなくて、
心細すぎて私が泣いていたら、
"マイケル・ジャクソンなんていつもこんなんだよ"と
私を励ますために言い切った母
それはちょっと意味が違う気がするけれど
いつもこんな調子の母

今考えると、
母の方がよっぽど大変だったんじゃないかな、と思う
いつだって、支えられています
ありがとう
父と共に素敵に年を重ねて下さい 

お誕生日おめでとう