October 27, 2010

mid-term

毎学期の中間にある試験期間が
ようやく一段落

英語で課せられたあらゆる課題や試験を目の前に
これが日本語だったらどんなに楽だろう、と
毎回思うのだけれど、
英語だから難しいんじゃない
日本語でだって難しいんだ、といつも思い直す
そうすると私は不思議と楽になれる
言語がどうのこうのをとっぱらって
学ぶべき物事だけをみれるようになる
11歳でドイツに渡り
ドイツ語のかけらもわからずに
現地の小学校にぽんと入れられた時もそう
目の前のこの人たちの言っていることは
ドイツ語だからわからないんじゃなくて
きっと日本語でもわからないな、と思って
そこにいた

語学に限らずなんでもそうなのだけれど
なにかの壁を超えることができる人って
なんとかしてそこに居続けられる人なんじゃないかと
私は思う
何かを克服しよう、理解しよう、ではなくて
なんとかしてただそこにいることのできる人
それが真に"超えている"ということなのかな、と思う
努力しない、という意味ではなく
思っていることも伝えられない相手の意思もわからない
なにより居心地の悪い場所に居続けるというのは
容易ではない
できないことへのプライドが邪魔したり
できない自分へのプライドが邪魔したりする
そしてなによりカッコ悪い姿を人前にさらして
その場に居続けるということは、相当キツイはず
だけどそういう場所に身を置き続けられる人は
もうすでに色々を超えているな、と思う 

だから私は
全部を完璧に、は無理な時も
たまには適当に
適度に自分を許しつつ
カッコ悪く悔しい思いをしながら
なんとかしてそこに留まる、
ということをしている

毎日がそれとの戦いだったりする

October 22, 2010

synesthesia

音楽史の中でsynesthesiaを知った
日本語では、"共感覚"と呼ぶらしい 

この"共感覚"を持つ人は、
音に色を感じたり、文字に色を感じたり、
形に味を感じたりする 。
共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じるのは
"色聴"と言われ、絶対音感を持つ人の中には、
その割合が高いと言われている。
その他にも、数字、数字の大きさ、
時間単位、人間の性格や姿に色が見える、
人間を目視しただけで触感を覚える、など
さまざまな種類があるらしい。
一言で"色"と言っても、
"黄色い歓声"などの例えで言われている色とは全く別物で、
また共感覚者の中でも、
決して同じ音が同じ色に見えるわけではなく、
個人によって様々だそうだ。

けれど共感覚者は、
他の人間がそれを持っていないことを知るまで、
自分が特別だと感じない、もしくはその感覚を
隠している人も多いらしい。
かくいう私も絶対音感で生きているけれど、
"絶対音感"という言葉が注目されるまで、
世の中に溢れている音がすべてドレミで聴こえることが、
特別なことだとは思わなかった。

共感覚者は芸術家にとても多い。
有名なノルウェーの画家Edvard Munchをはじめ、
フランスの詩人Arthur Rimbaud、
作曲家Rimsky-Korsakov, Franz Liszt, Olivier Messiaenも
そうだったと言われている。
Claude Debussy作曲の"En blanc et noir"("白と黒で")も
synesthesiaのイメージからできた曲と言われている。
魅力的な作品が数多くある。

そして、
例え共感覚者でない人間同士でも、
同じものが同じようにみえているとは
限らないんだなぁ、と思う。
少なくとも人間皆、
それぞれに違ってみえている。
私にとっての明日は赤でも、
誰かにとっては計り知れない色かもしれない。
だから惹かれ合ったり、傷つけ合ったりできる。
そういう風にできているんだなぁ、と思う。

でもだからこそ私は、
生きていて安心できる。

October 14, 2010

大抵の音楽家は
音楽が大好きで
またはその楽器が大好きで
弾いている人ばかりだ
私が出会う音楽仲間もそう
ヴァイオリンが好きで好きで
小さい時からずっと
ヴァイオリニストになりたかったという人が
ほとんどな気がする

話せばいつも驚かれるのだけれど
私はヴァイオリンが好きで
弾いているのではない
楽器同様、クラシック音楽も
全然好きではない
クラシック音楽は
一切聴かない

じゃあどうして弾いてるの? 
と大抵の人は尋ねてくる

けれど
現在の私の師であるShmuel Ashkenasiは
そう聞かなかった唯一の音楽家だ

好きだからやる
嫌いだからやらない
生きていくことや何かをすることは
きっとそういうことではない
少なくとも
私にとってのヴァイオリンが
私の中のそういう位置にない

そういうことを
彼は体でわかっているのだと思う

会うだけで
こんなに心が洗われる人間
また音楽だけでなく
人間としても素晴らしい音楽家に
同じ世界で出逢えることはとても少ない
私は彼に音楽を教わっているけれど
音楽だけでなく
こうして人間力も教わっている

そしてもう一人
私はヴァイオリンが好きではないんです、と
話をしたら
「あぁ、だから弾けるのね。」と
言って下さった方がいる
私の気持ちの二歩も三歩も先を
答えて下さる

こんな読む気持ちの美しい方々に
私の音楽家としての人生は
支えられている

October 11, 2010

私は寒いところが好きだ
寒く暗くモノトーンで夜の長い冬が好きだ
そういう場所、そういう国でしか
私は創作ができない
孤独色が強くなければ芸術が生まれてこない
太陽がサンサンとしていて
ビビットカラーの溢れる
テンションの高い明るい街では
なにも生まれてこない

練習さえ
夜遅く街全体が静んで
世の中に溢れている気が落ち着いてからしか
集中することができない
音がうまく聴けない

そういう意味でもヨーロッパは
やはりクラシック音楽向きだなぁと思う
日本語は上から下へ読む
ヨーロッパの言葉は
左から右へ言葉を読む
楽譜も同様左から右へ読む
もうこの時点で歴史が違う

日本やアジアの演奏家たちは
そんなクラシック音楽の歴史の薄さを
なんとか努力や練習量を増やし
技術でカバーしようとしている気がする

でも決して
血は変えられないということを
日々感じる 

演歌を聴いて育ったつもりはなくとも
血が演歌を知っている
どんなに海外生活が長くても
血は日本人だな、と感じさせられる
それがクラシック音楽をやる上で
越えられない壁でもある
海外に出て体の中に
自然にクラシックが流れている人種を
目の当たりにしてしまうと
もうこれは血との戦いだな、と
感じさせられてしまう 

だから
日本やアジアの街並みとは全く違う
空気の違う街を歩きながら
少しずつ自然な音楽を体に流す
たまのお散歩

冬はマイナス20度まで下がるシカゴだから
 冬の寒さにはまだまだ程遠いけれど
少しずつ秋の気配のする
今日この頃

October 04, 2010

私の周りはなぜか現在プチ婚約ラッシュ

私はウェディングドレスやらお姫様?とやらに
全く興味もなければ憧れもないので
結婚式とかは全然したくないタイプなのだけど笑
結婚というもの自体はとても素敵だと思う

年齢に関係なく、結婚なんかまだしないで
もっと遊んでいたいと言う人もいるけれど
その度に、人で遊ぶなよ、と思うし
結婚すると自分の時間がなくなるのが嫌だとか
自由じゃなくなるとか言う人をみると
一人でいるというだけの、
貴方が思うそのちっぽけな自由ってなんですか?
と思う

自分が一人前になれるまで
自分がちゃんとするまでできないと言う人もいる
でも死ぬまできっとそんなのできない
努力し続けて待っていても時期はきっと来ない
最後はその未完成なままの自分を
誰かにとことん受け入れてもらって
イコールとことん愛してもらって初めて
ひとつの丸になれると思う
いつもどこか欠けていた円が
ひとつの人間の円になれる、と思う

結婚を甘くて幸せなだけのものだとは
決して思わない
だけど私は
一人でいるよりも
結婚して初めて自由になれると思うし
生きていくベースが
自分以外の場所にできて初めて
一人で生きていた時よりも
ずっとずっと精神的にも物理的にも
高く深く飛べると思う

他人と一緒に生きられること
誰かを愛する気持ちが形を変えていけること
幸せだ、と


**Happy Wedding**