May 09, 2011

Commencement ceremony

国の重要文化財であるAuditorium Theatreでの卒業式

4000人程の米国人観衆の前で
日本人である私がアメリカ国歌を弾くのは
なんだかとても不思議な気持ち
真っ黒のハリーポッター並みのキャップとガウンを纏い
学科ごとに違う色とりど りのタッセル
キャップに付けているそのタッセルを
卒業後に右から左に動かす瞬間は
感動と共に色々なことを思い出す

暗い暗い大学生活だったな、と本当に思う
式でディプロマを受け取る為
一人ずつ名前を呼ばれ壇上に上がるその度に
それぞれ客席にいる友人や家族から名前を叫ばれたり
ヒュー!キャー!おめでとー!などという歓声が飛ぶのだけれど
私が"ユゥキハシモォーリィ"と呼ばれた後の
しーんという静寂は断トツ一番だった気がする
あぁ、これが私がここで築いてきたものだな、と思った
こういう時に、たくさんの友人にキャー!おめでとー!と
叫ばれるような関係を築いてこなくてそういう存在でなくて
生きる世界を狭く狭くしてきて本当によかったな、と思った

大学生活がスタートしたハタチの誕生日も
最後になった23歳の誕生日も一日中寮の部屋で独り過ごした
4年間、寮とワンブロック先の大学の行き来のみ
勉強と練習しかしなかった
でも私にはとても似合った身の丈に合った生活だったなと本当に思う
どこにいても最後は同じように生きていただろうなとは思うけれど
日本の大学に行き、みんなでわいわい飲み会やサークルがあったりと
そういう生活をしなくて私は本当によかった

あたり前だけれど、
英語でのヒストリー、セオリー、リテラチャー、
エッセイ、ペーパー、プレゼンテーション等、
実際に楽器を弾くこと以外で大変な課題が多すぎて
自分の楽器を練習をする時間を取ることがとても難しく
ここに来ている本来の意味を考え直してしまう瞬間は
毎日多々あったけれど
最後には楽器を弾く上でもそういう他のことがきっと大事で
勉強はしなくていいからヴァイオリンの練習だけをしていればいい
そういう環境に生きることもそういう環境を作ってもらうことも
結局自分のためにはなにもならないし
ヴァイオリンを弾くから他は破棄してもいいというのは
それはそれでとても間違っている
恋愛をしたりじっと机に座って勉強をしたり
例えそういうことで実際に楽器を触る時間が減ろうが
それは恋愛や勉強のせいでは決してないし
そういうことが最後には
すべて自分の音楽にのっていくのだといつも思う

青春なんて興味もないしどうでもいいけれど
終わった時に自分で自分に泣いてあげられるような
シカゴで過ごした時間と、
なにより音楽の教え、人間的な関わり共に
アメリカに渡った本当の目的であった
ヴァイオリンの師と出逢うことができたことを
これからもずっと大事に生きていけたら