September 04, 2012

NAGANO国際音楽祭

NAGANO国際音楽祭が無事終わり
短くて濃い夏が過ぎ、ようやく少し一段落

もう何年前になるだろう? 
以前、音楽祭の皆様のオーケストラをバックに
ルートヴィッヒ・ミュラー氏と 
バッハのドッペルコンチェルトを共演させて頂いた時から 
今年はシュメル・アシュケナージ氏の専属通訳として
私は数年ぶりの音楽祭参加に

すべてを終えて、ひとつ本当に思うのは
生徒を教える、生徒を持つ、ということは
その子の人生を丸ごと預かることだな、ということ

アシュケナージ氏の言葉を伝える作業の中で
私の方が学ばせて頂くことがたくさんあり
とても貴重な時間を過ごすことができたけれど
またその一方で、それが例えどんな人間であっても、
ある人間の奏でる音楽を聴く、ということは
その人と何時間も話すよりもずっと
その人のことがわかってしまうので
毎日毎日たくさんの色々な人の音楽を聴き、
イコール毎日毎日色々な人の人生をみてしまい
キツイ時間でもあった

でもそんな中でも、音楽面はもちろん、
音楽的なこと以外でも人間的にたくさんの素敵な言葉を
生徒さんにかける先生の言葉に私自身何度も救われました

音楽をする姿勢自体がすごく固まってしまっていて
きっと先生や親御さんに
とても厳しく練習させられているんじゃないかな、
と思われる生徒さんには、
"僕が貴方にあげられる一番のアドバイスは、音楽を楽しむことです。
音楽は楽しむもので、それが何より大切なこと。
作曲家オリジナルの楽譜を手に入れるのは簡単だけど、
音楽自体を楽しむこと、というアドバイスの方がもっと大事ですよ。
もしも先生が厳しいのなら、先生を変えていいんですよ。"とか
楽器を弾くことはとても上手なのに、
自分のやりたい音楽がなかなか出しきれない生徒さんには、
"もしもそれが間違ったことだとしても、
何もしないより何かする方が断然素晴らしいことです。
だからなんでも怖がらずにトライして下さい。"とか

また、とあるまだ幼い生徒さんのレッスンの時には
演奏を聴いたあと、親御さんだけとプライベートでお話ししたいとレッスン会場の外へ

そこで、
貴方のお子さんはまだ幼くて可愛いし
ヴァイオリンをやらせることがその子自身の幸せに繋がるかどうかわからない
その子にはその子だけの大事な子供の時間、子供の時期があり、
また青年期があるし、それをすべてヴァイオリンに費やしてはいけない。
子供が"ヴァイオリンを弾く"ということだけに
親や先生や周りが注目しすぎてはいけないし
その子がヴァイオリンを弾くためだけの環境を守りすぎてはいけない。
その子がもし音楽家として成功したならば
それがその子自身の人間的な幸せかどうかはわからないけれど
その場合はそれでいいかもしれない
でももし、音楽家として成功しなかった場合
その子からヴァイオリンがなくなってしまっても
その子自身が自分を空っぽだと思わないような
人間にならなければならない
だから親御さんや先生は"ヴァイオリンが弾ける"その子ではなく
ヴァイオリンと子供自身を切り離してみなければならないし
音楽に関してお子さんになにかを強要しないように、
というようなお話をされた

いつか彼が言っていた
「親は時々、子供自身の幸せ以上に子供を幸せにしようとする。」
という言葉を思い出した

あぁしていたらこうなっていたのに、というような
物理的なことではないけれど
私もこういう言葉をもっともっと小さい頃に
かけてもらっていたら、と思うと涙がでてきてしまった 

でも
今この瞬間だけ良くなり頭を使わずに弾くような演奏や
パッと言われてパッと良くなる即効薬のようなレッスンなど
音楽的にも人間的にもその場限りの生易しい言葉は決してかけない
時にそれはとてもシビアで
でも音楽に対して誠実でいようとするが故の言葉であり
そして何がほんとうに彼ら生徒のためを思ったアドバイスであるか、
ということを思えば当然のように思う

私がアシュケナージ氏に出逢ってから早6年が経つけれど
お互いが似たような音楽や同じ種類の表現を持っていて
自分に元々あった良いものをどんどん伸ばしてくれるような
楽しくなるような気持ちの良いレッスンではなく
彼にあるものが私には一つもないという
いつも逃げ出したくなるようなレッスンから始まり
それでも必死になって真摯に本物を突きつけてくれる彼がいて
その気持ちがあってここまで続けてこれた
彼に出逢って、音楽とはほんとうは何なのか、本物が一体何なのか、そして、世の中の色々な雑念にとらわれて
そういうものを見る目や聞き分ける耳を今まで養ってこれなかった、
ということをとても考えるようになった 

彼は人間的に先生気質ではなく真にただの芸術家
自分自身ですべてであり、人にものを教えるように
他人に自分の夢や希望を託したりする欲が全くなく、
また、商業的なことには全く興味のない人
芸術家である自分自身を本能のまま突き通すことができるからこそ
彼はあぁいう音を出すことができるんだと思う
それが彼の教えのすべてであり
それ以上のものは何も必要ないのだと改めて思いました 

どうかそれぞれがそれぞれに
彼が伝えてくれた音楽や、かけてもらった言葉が
私の拙い通訳を通してでも
そのままの意味で伝わっていることを願うばかりです


NAGANO国際音楽祭実行委員会の皆様、
スタッフの皆様、ボランティアの方々、
本当にお疲れ様でした*ありがとうございました* 

*写真*
音楽祭最終日、
信州国際音楽村・ホールこだまにてゲネプロ風景