その中庭にある巨大チェス
子供達が駒を持って遊び回っていたり
おじいさんたちが真剣に勝負していたり
その横の日陰になったテーブルでは
ラップトップと分厚い教科書を広げて
学生たちが揃って勉強している
私は大好きなボバティーを飲みながら一休み
アメリカの学生は
外で勉強するのが好きだなぁと思う
時にはピックアップトラックの荷台でも
数人が輪になって勉強していたりする
私もシカゴでの学生時代
勉強時間のそのほとんどを24時間営業のカフェで過ごした
アメリカは教科書は自分だけの物ではなく毎年使い回しなので
やたらとボロボロで分厚い教科書と
エッセイの課題が多いのでラップトップは必須
そんな学生たちの空気も懐かしい
当時は楽器を弾く時間を割いてまで
音楽とは一見関係のない普通の"勉強"というものをさせられ
これが一体何になるんだろう、というような時期もあったけれど
物事の本当に大事なことというのは
その時にはその線がどこの点につながっているのかは見えなくて
後になって初めてわかることの方が多く
今ではちっぽけだけれどその知識こそが
世の中で生きる些細な喜びの度合いを上げてくれているし
実は本業とは関係のないものこそが
自分を本業の中でまた違うステージに押し上げてくれる気がする
日本でもそうだけれどアメリカでも
学校の勉強ができることと頭が良いことは違う
勉強ができるよりも頭の良い人がいい、
彼/彼女はクレバーだけれどワイズじゃない、
なんて言われているけれど
"学校の勉強"ができる人の方が
私は好きだなぁ、と思ったりする時間