卒業以来久々に
大学時代の友人たちと再会
欧米人たちに混ざってアジア人は私一人だけ
それぞれがそれぞれに近況報告や
自分のフィールドならではの苦しみ、悩みや不安
そういうすべてのことを誇張せずそのまま
何てことないことのようにガンガン話す
彼らと話していると本当にオープンで飾らず
適度に楽観的で良いなぁと思う
それはアメリカという国に初めて来た時
なんて生き易いんだろう、こんな生き方もあったんだ、と
生き方の引き出しが増えた時に少し似ている
日本人の中でもそういう人たちはいるし
欧米人の中でもそうでない人たちもいるけれど
大概の欧米人たちは
良いものは良いと素直に褒め合って
凄いことは凄いねと讃え合う
悔しかろうが羨ましかろうが
認めるところはきちんと認め
妬み嫉みで足を引っ張り合ったり
出る杭が打たれることもない
年功序列でもなければ性別も年齢も仕事には無関係
力のある人が上にいける、というただ単純なアメリカの社会
その分逆に言えば力のない人にとってはとてもきつい社会だし
力がないと簡単に路線からはずされてしまうから
他人の足など引っ張っている余裕はないというのが
正直なところかもしれないし
他人に足を引っ張られて下がってしまう程度にしか飛び抜けていないから
打たれてしまうのかもしれないけれど
物であっても人であっても
裏のあるもの、どこか影のあるものに魅かれる私にとって
皆のその良い意味で奥行きのない生き方や
今みえている現実がすべて
口にしている言葉がすべて
そういう人たちの集いが
たまに思いもよらない方向から自分を救ってくれたりして
必要な時間だったりする
*写真*
The Rotunda at Neiman Marcus
August 27, 2014
August 13, 2014
その中庭にある巨大チェス
子供達が駒を持って遊び回っていたり
おじいさんたちが真剣に勝負していたり
その横の日陰になったテーブルでは
ラップトップと分厚い教科書を広げて
学生たちが揃って勉強している
私は大好きなボバティーを飲みながら一休み
アメリカの学生は
外で勉強するのが好きだなぁと思う
時にはピックアップトラックの荷台でも
数人が輪になって勉強していたりする
私もシカゴでの学生時代
勉強時間のそのほとんどを24時間営業のカフェで過ごした
アメリカは教科書は自分だけの物ではなく毎年使い回しなので
やたらとボロボロで分厚い教科書と
エッセイの課題が多いのでラップトップは必須
そんな学生たちの空気も懐かしい
当時は楽器を弾く時間を割いてまで
音楽とは一見関係のない普通の"勉強"というものをさせられ
これが一体何になるんだろう、というような時期もあったけれど
物事の本当に大事なことというのは
その時にはその線がどこの点につながっているのかは見えなくて
後になって初めてわかることの方が多く
今ではちっぽけだけれどその知識こそが
世の中で生きる些細な喜びの度合いを上げてくれているし
実は本業とは関係のないものこそが
自分を本業の中でまた違うステージに押し上げてくれる気がする
日本でもそうだけれどアメリカでも
学校の勉強ができることと頭が良いことは違う
勉強ができるよりも頭の良い人がいい、
彼/彼女はクレバーだけれどワイズじゃない、
なんて言われているけれど
"学校の勉強"ができる人の方が
私は好きだなぁ、と思ったりする時間
July 18, 2014
窓から見える
目の前に広がるグランドキャニオンが
なんだか画のように綺麗で
思わず撮った一枚
普段花火は禁止されているアメリカで
唯一花火を上げることができる独立記念日
4th of July
日本の花火の素晴らしさを知っていたら
お世辞にも綺麗とは言えないくらいの
こぢんまりとした打ち上げ花火を
アメリカ人たちと見て
彼らが大好きな
"God Bless the U.S.A."を聴きながら
一大イベントが終わった7月
最近アメリカ人だけでなく
色々な人種の人に
一同に出会う機会が多いのだけれど
色々な国の色々な人を見れば見るほど
あぁ皆同じなんだな、と良い意味で思う
大きなカテゴリーでくくったり
日本人はこうだ、とか
アメリカ人は〜で、ドイツ人は〜で、とか
そんな風に考えたり話したりしていたのは
どちらのことも
良く知らなかったからなんだなと思う
嫌いな人もいないのに
好きな人なんて見つけられるわけない
そう思うのと同じように
違いも見つけられないのに
同じ部分になんて
気づくことができなかったんだろう
でも回り回って思うのは
結局感じている気持ちは
どんな人種でも一緒なんだな、ということ
綺麗事は好きじゃないから
人類皆同じ、とは全然思わないけど
そんな生ぬるいレベルではなく
June 17, 2014
Back in the US
数ヶ月の日本滞在を終えアメリカへ
でかでかと掲げられた星条旗を見ると
あぁー合衆国に戻ってきたんだなぁ、といつも思う
日本でまた様々な出逢いや素敵な機会
何もせずにやってきたただの縁ではなくて
自分で引き寄せた方の縁に恵まれ
貴重な経験を沢山させて頂きました
人はよく未来のために今頑張るなどと言うけれど
私は未来のためではなくて
私は未来のためではなくて
過去のために頑張る方だなぁと思う
未来なんか明るくなくて全然構わないし
これからどんな人生が待っているかなんて
二の次でいい
今日この毎日の努力や頑張りが
明日や遠い未来につながっていくとか
そんなことはどうでもよくて
明日や遠い未来につながっていくとか
そんなことはどうでもよくて
もう既に
この世界に生まれる前には予想していなかったほどの
たくさんの大切な人やもの
持ちきれない程の幸せな時間があって
また自分を必要としてもらうこともできて
もうお腹いっぱいです、と
ある年齢を越えてからは
今までの自分の人生に、今日までの過去に、
ありがとうございますという気持ちで
ありがとうございますという気持ちで
過去のために頑張ろうと思って
私は日々生きているなぁと思う
もうこんな明日は来ないかもしれないから
だから昨日に感謝して今日頑張ろう、と
だから昨日に感謝して今日頑張ろう、と
それは満足とはまた別物だけれど
*写真*
The Chicago river
May 18, 2014
リハーサルや生徒のレッスン
レコーディングの準備などをしつつ
友人知人、色々な方々に会いながら
改めて感じる母国日本の良さと
良い面があれば必ずあるネガティブな面
言葉ではうまく言えないけれど
日本という小さな島国にいると
折角自分の走りたいペースで走っているのに
後ろからもっと早く走れと煽られているような
そんなこの国ならではの煩わしさも感じるこの頃
でもアメリカのように
「自由」がすべてと言わんばかりの
開放感に満ちあふれた開けっぴろげな国のつくり
そしてそういう国の居心地の良さを好む人間が苦手な私には
日本のこの、小さな生き辛さが心地良かったりして
そういう些細な引っかかりみたいなものを
みんながそれぞれに少しずつ抱えながら生きていて
思う様にはいかないものこそが
ほんとうは人生なんだろうと思いながら
そしてこの小さな国の
小さな人間たちの塊の中で改めて思うのは
同じような考え方や哲学をしていて
大きく分けたら同じ種類の方に振り分けられる人間であるのに
その中で違う理解をしている人間同士というのは
全く違う種類の人間同士よりもよっぽどややこしく
実は分かり合うのがとても難しいんだなぁということ
例えば
同じ宗教や同じ信仰のもとに集まっている者同士だったり、
ある特定の作家の書く文章に共感する者同士、
ある特定の音楽や歌手が好きな者同士など
同じ思想やものを好き好んでいたり信じているのに
違う理解をしている人間というのは
不思議だけれどもちろん必ずいて
そういう風に同じものの中なのに
違う考え方をしている人間というのは
違う種類の人間よりももっと"違う"人間であり
とても遠い
それならもういっその事
全然違う宗派であったり
全然違う哲学をしている人間同士の方が
よっぽど分かり合えたり救い合えたり
互いに人格者だったりする
なんだかわからないけれど
こういうそれ以上でも以下でもないただの事実を
改めてひしひしと感じる
*写真*
撮影中の一コマ
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