June 17, 2014

Back in the US

数ヶ月の日本滞在を終えアメリカへ
でかでかと掲げられた星条旗を見ると
あぁー合衆国に戻ってきたんだなぁ、といつも思う

日本でまた様々な出逢いや素敵な機会
何もせずにやってきたただの縁ではなくて
自分で引き寄せた方の縁に恵まれ
貴重な経験を沢山させて頂きました

人はよく未来のために今頑張るなどと言うけれど
私は未来のためではなくて
過去のために頑張る方だなぁと思う
未来なんか明るくなくて全然構わないし
これからどんな人生が待っているかなんて
二の次でいい 
今日この毎日の努力や頑張りが
明日や遠い未来につながっていくとか
そんなことはどうでもよくて
  
もう既に
この世界に生まれる前には予想していなかったほどの
たくさんの大切な人やもの
持ちきれない程の幸せな時間があって
また自分を必要としてもらうこともできて
もうお腹いっぱいです、と
ある年齢を越えてからは
今までの自分の人生に、今日までの過去に、
ありがとうございますという気持ちで
過去のために頑張ろうと思って
私は日々生きているなぁと思う 
もうこんな明日は来ないかもしれないから
だから昨日に感謝して今日頑張ろう、と
それは満足とはまた別物だけれど


*写真*
The Chicago river

May 18, 2014

久々の帰国から一ヶ月

リハーサルや生徒のレッスン
レコーディングの準備などをしつつ
友人知人、色々な方々に会いながら
改めて感じる母国日本の良さと
良い面があれば必ずあるネガティブな面
言葉ではうまく言えないけれど
日本という小さな島国にいると
折角自分の走りたいペースで走っているのに
後ろからもっと早く走れと煽られているような
そんなこの国ならではの煩わしさも感じるこの頃
でもアメリカのように
「自由」がすべてと言わんばかりの
開放感に満ちあふれた開けっぴろげな国のつくり
そしてそういう国の居心地の良さを好む人間が苦手な私には
日本のこの、小さな生き辛さが心地良かったりして 
そういう些細な引っかかりみたいなものを
みんながそれぞれに少しずつ抱えながら生きていて
思う様にはいかないものこそが
ほんとうは人生なんだろうと思いながら

そしてこの小さな国の
小さな人間たちの塊の中で改めて思うのは
同じような考え方や哲学をしていて
大きく分けたら同じ種類の方に振り分けられる人間であるのに
その中で違う理解をしている人間同士というのは
全く違う種類の人間同士よりもよっぽどややこしく
実は分かり合うのがとても難しいんだなぁということ

例えば
同じ宗教や同じ信仰のもとに集まっている者同士だったり、
ある特定の作家の書く文章に共感する者同士、
ある特定の音楽や歌手が好きな者同士など
同じ思想やものを好き好んでいたり信じているのに
違う理解をしている人間というのは
不思議だけれどもちろん必ずいて
そういう風に同じものの中なのに
違う考え方をしている人間というのは
違う種類の人間よりももっと"違う"人間であり
とても遠い
それならもういっその事
全然違う宗派であったり
全然違う哲学をしている人間同士の方が
よっぽど分かり合えたり救い合えたり
互いに人格者だったりする

なんだかわからないけれど
こういうそれ以上でも以下でもないただの事実を
改めてひしひしと感じる


*写真*
撮影中の一コマ

April 17, 2014

Marc Johnson

素晴らしい芸術家であり
永年フェルメール・クァルテットのチェリストを務めた
マーク・ジョンソン
シカゴにて、私はフェルメールのメンバーと一緒にいた最中
突然届いた訃報

フェルメールのCDなどを聴くと
一音一音、そのあらゆるフレーズで
ここで意見を言い合い、ここで話し合いをし、
この部分は誰々がどうしても譲らなかった、などと
その音、その一部始終を今でも思い出すと言うアシュケナージ氏 
彼らが共に積み重ねてきた時間の重みと
クァルテットという"人生"を想う

薄っぺらい言葉になってしまうけれど
半世紀以上をずっと共に
同じ音楽をしてきた仲間の死というものが
他のメンバーにどんな風にうつったのか
本当の本当の心の中は
とても想像を越えるものなのだろうけれど
歳を重ねた人間たちの死の受けとめ方は
とても静かで深く
それぞれの悲しみ方と
それぞれの死への姿勢があるのだなぁと感じた

もう解散してしまっていて
もう一度聴くことができないことは
もちろんずっと前からわかってはいたけれど
もうほんとうにフェルメール・クァルテットを聴くことは
二度とできないんだぁという
とても単純で残念な気持ちだけが残る

お会いする度
いつもとても優しく接して下さったマークのことを思い出すと
あのあたたかい笑顔に今でも心が優しくなる

心からご冥福をお祈り致します
My deepest condolences. R.I.P. Marc Johnson

April 01, 2014

April showers

4月1日

11歳で日本を離れてから
少しの帰国期間はあったものの
海外生活も人生の半分を越えようかとしているところ
すべてが9月始まりである
欧米の国際基準に慣れてしまっているせいか
4月、この春という季節が
始まりだという気持ちを忘れてしまいそうになる

アメリカには"Cherry blossom"はあるけれど"桜"はないので
日本のお花見とは程遠いけれど
タイトル通り4月の雨に降られながら
やってきたお気に入りのカフェで
いつもお決まりの窓際の席に座り
帽子を窓にかけブックスタンドを立て
コーヒーを片手に静かに読書をする
お洒落で素敵なおじいさんを眺める朝

こだわり抜いた珈琲の香りが漂う中で
どんな1日が待っているんだろうという気持ちになる

March 20, 2014

コンサートが一つ一つ終わっていき
また新しいことへの準備が始まっていく
まだひと気のない早朝
アカデミックな建物と
あぁ外国だなぁ、と思う空の高さ
物凄い霧と寒さの中での撮影
楽器が耐え得る限られた時間内で
ケースから出したり閉まったりを繰り返し

カメラマンさんに自分が思い描いているイメージを
言葉で伝えることの難しさ
イメージのコンセプトに始まり
どうしてそのコンセプトに至ったのか
自分の哲学まで話さなければしっかりと交われない
その上英語には日本語のような奥行きや空間がなく
抽象的な表現や言葉がとても少ないから
なおさら伝えにくい

いつだったかアメリカに来たばかりの頃
大学で"Betrayal"をテーマに
7、8枚のエッセイを書くという課題を出され
まだ良くも悪くもシンプルな
英語という言語をあまり知らずに
なんとかページ数を稼がなければと
薄っぺらい恋愛?もののエッセイを書いたとき
「この同じ空の下を生きている」という部分に対し
"他にどこがあるの?"と
英語で添削され返された時を思い出す

笑ってしまうほど現実的で裏表のない思考に
逆に救われたりすることもあるのだけれど
私の言葉はどんな風に相手に伝わっているのかなぁと 
考えさせられる瞬間が多くある
私の思っているそのままの意味で
一度はしっかりと相手の中に届いていたらいいなぁと思う
その後は共感でも疑問でも否定でも
なんだっていいのだから