コンサートが一つ一つ終わっていき
また新しいことへの準備が始まっていく
まだひと気のない早朝
アカデミックな建物と
あぁ外国だなぁ、と思う空の高さ
物凄い霧と寒さの中での撮影
楽器が耐え得る限られた時間内で
ケースから出したり閉まったりを繰り返し
カメラマンさんに自分が思い描いているイメージを
言葉で伝えることの難しさ
イメージのコンセプトに始まり
どうしてそのコンセプトに至ったのか
自分の哲学まで話さなければしっかりと交われない
その上英語には日本語のような奥行きや空間がなく
抽象的な表現や言葉がとても少ないから
なおさら伝えにくい
いつだったかアメリカに来たばかりの頃
大学で"Betrayal"をテーマに
7、8枚のエッセイを書くという課題を出され
まだ良くも悪くもシンプルな
英語という言語をあまり知らずに
なんとかページ数を稼がなければと
薄っぺらい恋愛?もののエッセイを書いたとき
「この同じ空の下を生きている」という部分に対し
"他にどこがあるの?"と
英語で添削され返された時を思い出す
笑ってしまうほど現実的で裏表のない思考に
逆に救われたりすることもあるのだけれど
私の言葉はどんな風に相手に伝わっているのかなぁと
考えさせられる瞬間が多くある
私の思っているそのままの意味で
一度はしっかりと相手の中に届いていたらいいなぁと思う
その後は共感でも疑問でも否定でも
なんだっていいのだから
"Beethoven Reprise Concert"
日時:2014/03/02(日)14:00開演
会場:Starbright Theater, U.S.A.
曲目:Beethoven : Piano Concerto No. 3 with String quartet 他
"Masterworks IV ~Rising Star~"
日時:2014/03/08(土) 19:30開演
会場:The Smith Center, U.S.A.
指揮:David Lockington
曲目: Mussorgsky : Prelude to Khovanshchina, "Dawn Over the Moscow River"
Tchaikovsky : Piano Concerto No. 1 in B-flat minor, Op. 23
Sibelius : Symphony No. 2 in D major, Op. 43 他
アメリカ人が一年で最も楽しみにしているイベント
アメフトの優勝決定戦であるスーパーボウルが終わり
昨日はフライデーナイトと重なったバレンタインナイト
バレンタインデーには
自宅のあるコンドミニアムのコンシェルジュが
配達された花束たちでいっぱいになっていて
街にも花束を持って歩いている男性がたくさん
欧米では男性が女性に贈り物をする日であるけれど
本当にみんなお花を渡すんだなぁと改めて感じながら
カップルで溢れ返っている街のレストランで
サーバーのお姉さんにHappy Valentine's day!と言われる気分も
なんだか悪くない
そしてテレビではソチオリンピック
アメリカにいるので
当然日本人選手だけを注目しては見れないものの
後からきた人間が前にいた人間を抜いてこそ
世の中は向上し発展していく、というのは
こういうことなのかなぁと
フィギュアスケートの
プルシェンコ選手の言葉を聞きながら
ぼんやりと思う
そしてそれが例え何であれ
その目指しているそのものになることよりも
それで居続けることの方が
断然大変なことなのかもしれないなと思う
ゼロを1にする方が1を2にするより大変だと
よく言われているけれど
1が1であり続けることの方が
もっと大変なことなのかもしれない
そしてそれこそが進化なのかもしれないな、と
以前、なにかの壁を超えることができる人は
なんとかしてその状況に居続けられる人で
そこに居続けるということは
もうそれを越えていることだと書いたけれど
ほんとうにそうなのかもしれないなと思う
Presidents' Dayで三連休の週末
近々に控えたコンサートの譜読みに追われながら
何十年ぶりの大雪が続いている日本が嘘のように
毎日が快晴のアメリカ西海岸にて
地元の人々が"モン"と呼ぶらしい
フランス、サン・マロ湾上に浮かぶ小島にある修道院
モン・サン=ミシェル
死ぬことも生きることの一部じゃん、と言ったのは誰だっただろう
ここから見える永遠に続く何もない景色と
真っ暗な静寂の中で鳴り響く鐘の音を聞きながら
生きてることなんて、と思った
その先に続く言葉は今はわからないけれど
とても神聖な気持ちでただただそう思った
米国に戻り、控えていた二つの本番を終え
溜まっていたヨーロッパの写真を少しずつ更新
パリ、オペラ座の前を歩きながら
ふと思ったのは
恋人にしても親しい友人にしても
私が芸術家や音楽家、また音楽愛好家を拒絶し続け
自分のしている仕事とは無関係の人間を選ぶ理由は
例えばこうして、オペラ座の前を通っても
オペラをみようとかコンサートへ行こうとか
そういうことを言われないためなんだな、と
私は自分が頑張っているところは
大事な人には見られたくないし見せたいとも思わない
また自分が大事に想う人の
頑張っているところや輝いている瞬間も見たくない
だからそういうものを見てしまわない環境、
そして何より
自分が大事にしているものを
大事な相手と"共有"しないということが
私にとって重要なことなんだろう
元々自分以外の人間と何かを共有することなんて
できないのだけれど
もし万が一共有なんてしてしまったら
もうその人との関わりや学びは終わってしまう気がするし
そんなちっぽけなポイントで
感情が増えたり減ったりはしないから
そしてそういうポイントを尊敬と勘違いしないよう
尊敬する部分が"ある"のではなくて
その存在自体をお互いが尊敬し合って初めて意味があると
自分の周りの人間には常々思う
自分の内なる想いのルーツに
色々な形で気づきながら
寒く薄暗いパリの街をずんずんと歩く
*写真*
Louvre Museum & Pont de Arts