August 01, 2013

Green Valley Chamber Music Festival

今週から講師陣のアシスタントとして、
講師陣のサポート、オーケストラのコンサートミストレス、
受講生への指導をさせて頂いているGreen Valley Chamber Music Festival

最終日にはソリストとして、
オーケストラとバッハのBrandenburg Concertoを弾かせて頂きます


日時:2013/08/02(金) 18:00開演 
会場:Green Valley Presbretarian Church, U.S.A.
曲目:Beethoven : String Trio in C minor
Ravel : String Quartet in F major他 

日時:2013/08/03(土) 15:00開演
会場:Doc Rando Recital Hall, U.S.A.
曲目:Vivaldi : Violin Concerto in G minor ("Summer")
Tchaikovsky : Serenade for Strings in C major他

日時:2013/08/09(金) 18:00開演
会場:Doc Rando Recital Hall, U.S.A.
曲目:Mozart : Oboe Quartet in F major
Haydn : String Quartet in D major他

日時:2013/08/10(土) 15:00開演
会場:Doc Rando Recital Hall, U.S.A.
曲目:Bach : Brandenburg Concerto No. 1 in F major (Violin Piccolo : Yuki Hashimori)
Beethoven : Symphony No. 2 Op. 36他

June 25, 2013

King of Stradivarius "Da Vinci" Concert

"Da Vinci"(1714年製) "Romanoff"(1731年製) "Lord Norton"(1737年製)と
三本のストラディヴァリウスが揃い
先日行われたClassic for Japan主催 "Da Vinci Concert" 

(株)H.I.S.代表取締役会長・ハウステンボス(株)CEOの澤田秀雄氏や
ワタミ創業者のわたなべ美樹氏をはじめとした錚々たる方々がお集りの中
私は、ストラディヴァリウス・サミット・コンサート2013でも
ベルリンフィルのメンバーが弾いていた
1731年製「ロマノフ」を弾かせて頂きました

ストラディヴァリウスは
"鳴らせる"までにはかなり時間がかかると言われていますが
出逢って手にした時の最初の距離が
楽器と自分とのお互いの歩み寄りで
時間と共にだんだんと縮まっていく時の感覚は
ほんとうに生き物のようで
人間はあまり好きとは言えないけれど
とても人間っぽいなぁ、と良い意味で感じられる
得難い貴重な時間でした

ヴァイオリンドクターである中澤宗幸氏から語られた
ストラディヴァリウスの歴史や
演奏後に色々な方々とお話しする中で改めて感じたのは
音楽はやっぱり一人でしか聴けないものなんだなぁ、ということ
あたり前だけれど
同じ空間で同じ音を聴いていても
二人として全く同じようには聴こえていない
こういう音自身だけのことを究極に突き詰めて考える時
あぁほんとうに人間は一人なんだなぁと改めて思う
でもそれは悲しいことではなく
それぞれに届く音がそれぞれに違うのは
素晴らしいことなんだと
こういう素晴らしい楽器こそが教えてくれたりする

June 14, 2013

友人がふと差し出して下さった
茂木健一郎著「すべては音楽から生まれる~脳とシューベルト~」
にあった言葉

「音楽はすべての芸術をつかさどる。
絵画、詩、小説・・・・・ありとあらゆる「芸術」がこの世には存在するが、音楽は、他の芸術とは一線を画するように感じられる。最も生命原理に近い、生命哲学の根幹にかかわる、とでも言おうか。実際、古代ギリシャ以来、音楽は、芸術論の中枢だと認識されてきた。特にヨーロッパ文化においては、音楽を芸術の一ジャンルとしながらも、倫理や精神、さらには創造性の原点としてとらえる思想が、今日にも受け継がれている。それは、「音楽」の語源にも象徴されている。英語で言えば、「music」。これは、ギリシャ語の「musike」から生まれた言葉であり、「ムーサの技」「ムーサのつかさどるもの」という意味だ。ムーサとは、「ミューズ」のギリシャ語名「ムーサイ」の単数形。すなわち、ギリシャ神話における人間の知的活動をつかさどる女神のことであり、「musike」という言葉には詩や舞踏といった美的行為も含まれていたことがわかる。つまり、「music」という語それ自体は、知的表現と不可分な意味合いを持つ言葉であって、「音」という意味は持たない。ここが、日本語で「音楽」という時に想起されるもの・・・・・リズムや音程といった、「music」と比べると限定的で狭義のイメージ・・・・・との違いかもしれない。芸術の神ミューズから直接降り立つもの。命にかかわるもの。古来、音楽を奏でること、音楽を聴くことは、生の本質であるとさえ考えられていたのである。音というものを梯子にして地上に降り立ったミューズ、すなわち「music」の象徴の微笑を、私は探し続けている。それを生み出す物は音だけではなく、思考や情動、生命の躍動とも呼ぶべきものではないだろうか。このように考えるとき、音楽は芸術の一形態を超えた存在として、私の前に現れてくる。」


こういう音楽の意味に出逢える時
自分のしている音楽を好きになることが
今でもひとつの壁である私にとってそれは
大きな大きなきっかけだったりする

音楽っていいな、と手放しでは思えないけれど
あぁ、悪くないな、とほんとうに思えるから

May 01, 2013

J-AID

こういう時こういう場所に言葉を綴るのは 
普段の私ならとても違和感であり
また何から書き出したらいいのかさえ
まだ整理のつかない状況ではありますが 

今日
友人でありいつもいつも応援してくれていた良き理解者でもあり 
またNPO法人J-AIDの設立者兼代表者である柏村卓氏の突然の訃報を聞き
どうしても彼の想いを今後も絶やさず繋いでいってほしいと願い
ここに辿り着きました

以前書いた以下の投稿にも彼の活動があります
March 19, 2011の投稿 
April 16, 2011の投稿 
November 14, 2011の投稿

40歳という年齢で突然いなくなってしまった彼は
現在も被災地にとどまり被災地や被災地の子供達のため
そして子供達の未来のために
あらゆるサポートをしている最中でした 

今自分みえている世界だけが世界ではないと思うので
生きていることと死んでいることは
私には同じことのように思えます
だからすべては悲しいだけではありません
でも月並みだけれどやはり
あぁ、明日言おうと思っていたこと
次のメールの返信で伝えようと思っていたこと
今度会ったら報告しようと思っていたこと
そういうことがどこかで突然
パッと言えなくなってしまう瞬間がくること
それは誰の手にも一つずつあって
そしてそれがそれぞれのタイミングでやってきてしまうんだなということを
改めてひしひしと感じます

の描いていたものとは違った形になってしまったかもしれませんが
今一度様々な支援のあり方を考え、彼の想い、また精神が
今後もずっとずっと続いていきますように

J-AIDホームページ:http://www.j-aid.jp/home 


R.I.P. Taku-san

April 11, 2013

アシュケナージ氏邸エントランス

ここ一歩入るだけで
アメリカであることが嘘のようなヨーロッパの空気に包まれる

まだ私が大学に入ったばかりの頃には
ここへレッスンに来ると
前にフェルメールクァルテットがリハーサルをしていたりして
リハーサルはおろかゲネプロさえ人を入れず
また演奏時にはメンバー同士が目も合わせないことで有名な彼らの 
ドア越しに聞こえてくる卓越した静かなリハーサルはとても神秘的で
今でも容易に思い出せる
そういう空気がここにはやっぱり流れていて

畳の上でキャラクターのぬいぐるみや物に囲まれて練習していたり
物や人が和も洋も問わずごちゃ混ぜに溢れ返っている小さな島国では
なかなか創り出せない音がここにはある気がする
もちろん色々な例外はあるけれども
音を出す環境はいつだってとても大事

アシュケナージ氏が読む楽譜は
ほぼすべてが作曲家オリジナルの手書きの譜面で
私がどうしてそうなるのかと問えば
明確な理由と共にその作曲家自身がそう教えてくれているからとう答えが返ってくる
そういう風に当たり前に勉強し勉強し続けること

例えどんな音楽家になろうともきっとそう
学ぶことは永遠にある

初めて彼のレッスンを受けた日
最初に「毎回レッスンを録音して下さい。」と言われた
それを繰り返し聴くことはとても貴方のためになるから、と

日本ではレッスンの録画や録音は禁止している先生方もいると聞
なんでも他の生徒の親御さんや他の先生方に 
それを回し見られたりすることがあるからだそうだ 
それが困るのもわからなくはない 
でもそれは音楽がビジネスであるからで
本物はそんなことをされたぐらいでは減らない
何にも減りはしない
音楽はそんなことでは減らない

彼に会うたびに
音楽に人間としてのまれてしまわないこと
そういうほんとうに大切なことを思ってやまない