October 06, 2011

ブログを始めて早一年

私は小学校4年生で初めて手帳を買ってもらった日から
今日この日まで毎日一日も欠かさず日記を書いている

70歳になってからの1日と
15、16歳から20代前半ぐらいまでの1日とでは
日々の速度や変化がきっと全然違うのだろうし
そのとても繊細で微妙な時期は気付いたらあっという間に
通り過ぎてしまっているものなんじゃないかなと思う
だからこそ、そういう日々をなにかに残せたらと毎日書き留めている

でも書く内容は、今日どこどこへ行き何々をした、
というようなことではなく、
今日こういうことを考え、思い、こういうことを感じた、ということ
どうしても書く気分になれない日も、何も書かないのではなく、
どうしても書く気分になれなかった、と書くようにする
一言、それだけを
そうして初めて手帳を手にした日から私の日記は続いている

ブログもそれによく似ていて
たまにこのブログをみて下さっている方から
どうしてあぁいうブログなんですか?と尋ねられることがある
どういうブログが普通なのかわからないけれど
私は芸能人でもアイドルでも何者でもないし
例えばコンサートの情報や打ち上げの写真
美味しかった食べ物の写真などを自分の顔写真と共に載せても
私はそういうものを読みたいと思わないので
そういうことは書かないようにしている、ということ

書きたいことだけを書いているというよりは
書きたくないことは絶対に書かないようにしている。ひとつの言葉も。
そして、うまく書こう、わかりやすく書こう、という気持ちも
なるべく無視して書く。なにも付け足さずに。
自分の内から出てくる自分の言葉だけを選んで。

これからも細々とですが
書くことで浄化される気持ちがある限り
続けていけたらと思っています
よろしくお願い致します: )

September 12, 2011

HB2U

今年も変わらぬメンバーが
それぞれの時間の合間を縫って
お祝いをしてくれた誕生日

私はそもそも
自分の好きなものを誰かと共有したいとか
自分の嫌いなものを誰かと共有したいとか
自分の喜びや感動を誰かと分かち合いたいとか
自分の悲しみや痛みを誰かにわかってもらいたいとか
そんな気持ちは全くなくて

誰かと共有したり分かち合ったところで
そのものの分量が変わるとは思わないし
そうしたところで
喜びは倍に悲しみは半分になんて
ちっとも思わない
でもそう思わせない関係こそが 
本当に必要な存在だと思ってる

ことに友達というのは
ほんとうの意味で自分の人生を
動かせたり支えたり救えたりすることのできる
自分自身や共に生きる「家族」ではないし
「その先」のない関係に対して私は興味がないので
あまり求めていないし結構薄情だったりする

自分の生きる世界を無意味に広げてしまわぬよう
ほんとうに必要のないものを持ってしまわぬよう
いつも狭く狭くと気をつけて
いくら未練も後悔も
戻りたい時間も戻りたい場所も
なにもなく生きていたって
それでも
ふとした時に強烈に帰りたくなるような瞬間や
気付かぬうちに色々な大切なものをもらって
そしてそれを持って生かされているんだなぁと
こういう時に改めて感じさせられてしまう

ひとりでは生きられないということは
本当にひとりで生きている人にしかわからないみたいに

August 13, 2011

日本はお盆休み

祖父が迷わないようにと
提灯に火を灯し家に連れて帰る
祖父の墓石に刻まれた父の名前を見る度に
みんないつかは必ずその日がくるのだと再確認する

生まれてきて生かされていることは幸せなことだけれど
長く生きたいとは全然思わないし
戻ってやり直したいことも
焦がれるような戻りたい日々も
ひとつもない

近くであろうと遠くであろうと
夢や目標を定めてそれに向かうなんて
考えたことがないし
なにかを定めてしまっては
それに向かえない日々が多すぎる

人間いつ死ぬかわからないから
今やれることをやろうとも違う
ただ淡々と
決められたことを
決められた日々を
生きるだけ
ただ淡々と

いつだって生きることは苦しいけれど
みんないつかは向こうの世界にいけるんだし
苦しむことで自分で自分を幸せにしていることに
気づけるように
もしかしたらそれが
私が嫌いなヴァイオリンを
弾き続ける理由かもしれないから


*写真*
リサイタルでのリハーサル風景と
終演後ロビーにて

July 18, 2011

久々の帰国。震災後初めての日本。

空港に降り立った時いつも一番に出迎えてくれる、
「おかえりなさい。」という看板。
私はこの看板がとても好きで、これに何度安心したかわからない。
アメリカの空港で出迎えてくれる"Welcome back!"の言葉とは違う、
日本語独特の風情。大切なもの。

帰国する度に感じる、変わる想いと変わらない想い。 
日本の街は所帯染みていて、小さな島国で空も低い。
人は皆、背も低く鼻も低く、おまけに腰も低い。
外国と比べると、画にならないことが多いけれど、 
そういう日本の画にならない"カッコ良く"ないところが、
私はやっぱりとても好き。

元々なにもなかったけれど、
どこの国にいたいかも、誰といたいかも、もうなんだかなにもない。
いつだって自分のいる場所が自分の国で、
自分の話す言葉が自分のアイデンティティーで、
どんな風に生きていたって、大切な人はいつもすぐそばにいる。
色んな場所から色んな場所へと生き動いていく度、
どんどんどんどん洗われてなにもなくなっていく。
でも、なにもないことは、
深くこだわりがあることと本当はイコールな気がする。
なにかに対して中途半端じゃない人は、
なにも持っていないフリができるように。

生きて行く中でずっと、
そうなり続けられたらいい。


*写真*
シカゴの自宅からいつも見ていた夕日
見慣れた景色のウィリスタワーと市立図書館
そして通い慣れた大学とその向こうに広がるミシガン湖

June 06, 2011

建物内すべてが貸し練習室やたくさんの楽器屋さん
オーケストラのリハーサルスタジオや楽譜屋さんなどでうまる
古い古い9階建てのFine Arts Building
手動エレベーターで上がっていく
その中のお気に入りの楽譜屋さんで
新しい楽曲探し

楽譜や楽曲は
外との出逢いのようで
実は自分の内と内との出逢い
どんなに好きな曲でも
どうしても今は弾けないという時もあるし
あんなに気の向かなかった曲でも
今こんなに気が合うこともある

新しいことをみつけたり
新しくなにかを始めたり
新しい人に出逢ったり
それで私はわくわくしたりしないし
それを求めてもいないけれど
ひとつのことをずっとやってこそ
私はずっとどこかでわくわくしていられる
自分の内と内とでもう充分すぎる
そこに他者や外のものはなにも必要ない

毎日同じ場所で毎日同じことをする
それが毎日新しいってことだと思ってる 


先日私が出演した、東日本大震災被災者支援チャリティーコンサート"Japan Earthquake Relief Fundraiser Benefit Concert"含め一連のチャリティーイベントがALSO出版さんの"The Sax"という雑誌の7月号に掲載されているそうです。
よかったらチェックしてみて下さい。