September 12, 2011

HB2U

今年も変わらぬメンバーが
それぞれの時間の合間を縫って
お祝いをしてくれた誕生日

私はそもそも
自分の好きなものを誰かと共有したいとか
自分の嫌いなものを誰かと共有したいとか
自分の喜びや感動を誰かと分かち合いたいとか
自分の悲しみや痛みを誰かにわかってもらいたいとか
そんな気持ちは全くなくて

誰かと共有したり分かち合ったところで
そのものの分量が変わるとは思わないし
そうしたところで
喜びは倍に悲しみは半分になんて
ちっとも思わない
でもそう思わせない関係こそが 
本当に必要な存在だと思ってる

ことに友達というのは
ほんとうの意味で自分の人生を
動かせたり支えたり救えたりすることのできる
自分自身や共に生きる「家族」ではないし
「その先」のない関係に対して私は興味がないので
あまり求めていないし結構薄情だったりする

自分の生きる世界を無意味に広げてしまわぬよう
ほんとうに必要のないものを持ってしまわぬよう
いつも狭く狭くと気をつけて
いくら未練も後悔も
戻りたい時間も戻りたい場所も
なにもなく生きていたって
それでも
ふとした時に強烈に帰りたくなるような瞬間や
気付かぬうちに色々な大切なものをもらって
そしてそれを持って生かされているんだなぁと
こういう時に改めて感じさせられてしまう

ひとりでは生きられないということは
本当にひとりで生きている人にしかわからないみたいに

August 13, 2011

日本はお盆休み

祖父が迷わないようにと
提灯に火を灯し家に連れて帰る
祖父の墓石に刻まれた父の名前を見る度に
みんないつかは必ずその日がくるのだと再確認する

生まれてきて生かされていることは幸せなことだけれど
長く生きたいとは全然思わないし
戻ってやり直したいことも
焦がれるような戻りたい日々も
ひとつもない

近くであろうと遠くであろうと
夢や目標を定めてそれに向かうなんて
考えたことがないし
なにかを定めてしまっては
それに向かえない日々が多すぎる

人間いつ死ぬかわからないから
今やれることをやろうとも違う
ただ淡々と
決められたことを
決められた日々を
生きるだけ
ただ淡々と

いつだって生きることは苦しいけれど
みんないつかは向こうの世界にいけるんだし
苦しむことで自分で自分を幸せにしていることに
気づけるように
もしかしたらそれが
私が嫌いなヴァイオリンを
弾き続ける理由かもしれないから


*写真*
リサイタルでのリハーサル風景と
終演後ロビーにて

July 18, 2011

久々の帰国。震災後初めての日本。

空港に降り立った時いつも一番に出迎えてくれる、
「おかえりなさい。」という看板。
私はこの看板がとても好きで、これに何度安心したかわからない。
アメリカの空港で出迎えてくれる"Welcome back!"の言葉とは違う、
日本語独特の風情。大切なもの。

帰国する度に感じる、変わる想いと変わらない想い。 
日本の街は所帯染みていて、小さな島国で空も低い。
人は皆、背も低く鼻も低く、おまけに腰も低い。
外国と比べると、画にならないことが多いけれど、 
そういう日本の画にならない"カッコ良く"ないところが、
私はやっぱりとても好き。

元々なにもなかったけれど、
どこの国にいたいかも、誰といたいかも、もうなんだかなにもない。
いつだって自分のいる場所が自分の国で、
自分の話す言葉が自分のアイデンティティーで、
どんな風に生きていたって、大切な人はいつもすぐそばにいる。
色んな場所から色んな場所へと生き動いていく度、
どんどんどんどん洗われてなにもなくなっていく。
でも、なにもないことは、
深くこだわりがあることと本当はイコールな気がする。
なにかに対して中途半端じゃない人は、
なにも持っていないフリができるように。

生きて行く中でずっと、
そうなり続けられたらいい。


*写真*
シカゴの自宅からいつも見ていた夕日
見慣れた景色のウィリスタワーと市立図書館
そして通い慣れた大学とその向こうに広がるミシガン湖

June 06, 2011

建物内すべてが貸し練習室やたくさんの楽器屋さん
オーケストラのリハーサルスタジオや楽譜屋さんなどでうまる
古い古い9階建てのFine Arts Building
手動エレベーターで上がっていく
その中のお気に入りの楽譜屋さんで
新しい楽曲探し

楽譜や楽曲は
外との出逢いのようで
実は自分の内と内との出逢い
どんなに好きな曲でも
どうしても今は弾けないという時もあるし
あんなに気の向かなかった曲でも
今こんなに気が合うこともある

新しいことをみつけたり
新しくなにかを始めたり
新しい人に出逢ったり
それで私はわくわくしたりしないし
それを求めてもいないけれど
ひとつのことをずっとやってこそ
私はずっとどこかでわくわくしていられる
自分の内と内とでもう充分すぎる
そこに他者や外のものはなにも必要ない

毎日同じ場所で毎日同じことをする
それが毎日新しいってことだと思ってる 


先日私が出演した、東日本大震災被災者支援チャリティーコンサート"Japan Earthquake Relief Fundraiser Benefit Concert"含め一連のチャリティーイベントがALSO出版さんの"The Sax"という雑誌の7月号に掲載されているそうです。
よかったらチェックしてみて下さい。

May 13, 2011

Sweet Home Chicago

以前ある人に
「あなたのことは、通り過ぎるだけの人だと思ってますから。」
と言われたことがある

その時は
傷ついたわけでも驚いたわけでもなく
なにも知らないんだなぁこの人は、と
ただ漠然と思ったのを覚えている

でも今になって
「通り過ぎるだけの人」とは
なんて真っ当なんだろうと思える
人生はすべて通り過ぎるだけで
通り過ぎない場所も
通り過ぎない人間もいない
出発点も到着点も
生きていても死んでいても
私は同じだと思ってる

人生はただの"つなぎ"みたいなもので
前にきっと誰かが生きていたであろう人生を
私は今たったのここ数十年生きるだけで
だからこの先私が死んでも
私のそのあとの人生を
また誰かが生きてくれるだろうと思う
それはもしかしたら
人間ではないかもしれないし
クラゲとかトンボとかかもしれない
でもそれは終わりではないし
始まりでもなんでもない
ただただどんどんつながっていくもの
世界なんて超えた大きな大きな流れの中の
一瞬そこにちょこっと私も顔を出せたかなぐらいで
私はもうお腹いっぱいすぎる

だから良いことも悪いことも
誰かに褒められることも怒られることも
理解されることも誤解されることも
好かれることも嫌われることも
幸せなことも不幸なことも
あんまり興味をそそられない
失敗や悲しいことよりも
成功や良いことがあるように頑張ろうとも
幸せなことがいい人生だとも
全然思わない

でもどこにも行き着かずに
通り過ぎるだけだからこそ
その途中で色々な人に出逢えたことを
色々な場所に印を付けられたことを
色々な人に愛してもらったことを
私は大事にしようと思える


*写真*

シカゴ最後の日
すべては通り過ぎるだけ、という気持ちなので
寂しさも未練もなにもないですが
シカゴ観光など全くしなかった私が
なにかあってもなにもなくても唯一よく足を運んだ 
シカゴでの私のベストビュースポットへ
シカゴの景色を見ながら最後は楽器の上で寝る私
夜はもっともっと素敵な夜景*