December 14, 2013

HfMT Köln

突き当たりに見えるケルン音楽大学

自宅と大学とを結ぶこの道を
あの頃何度歩いたことだろう
色々な想いが蘇る

ケルン音大の最年少特待生として渡独したため
大学でザハール・ブロン氏のレッスンだけを
受けていればよかったのだけれど
私は普通の小学校にも通いたいと懇願し
現地の小学校にも入れてもらった
ケルンにいる時は
昼間は小学校、夜は大学という生活
これは今も昔も変わらないけれど
音楽仲間とプライベートでの学校の友達
というのをはっきりと分け
音楽をしている自分を知らない人間と関わることで
私は唯一バランスを保っていた
いつだって人間は誰も何者でもないのだけれど
何者でもない人間だと周りに認識され
そういう自分でいられる時間が
その頃の自分には大事なことだったように思う
新しくなっていた場所も所々あったけれど
ほぼ昔のままの変わらない学内
そして数えきれない程弾いたホール
私の知る限りの中で
ブロン門下というのは一つの特殊な世界で
先生に付いて生徒達が一緒に世界中を飛び回りながら
レッスンを受けコンサートをして回るという日々
ケルンを拠点にしつつも、3日後にはフランス、
その三日後にはスペイン、また三日後にはロシア、
そんな生活が繰り返し続いていく
けれどまたケルンに戻ってきた時には
私は音楽とは関係のない普通の学校に行くんだ
明日行かなきゃいけない場所がある、と思えること
パッと帰れる日常があったことも
めまぐるしい生活の中で自分を支えていたように思う

"普通"というものが何なのかは
人の数だけあると思うのでよくわからないけれど
その頃の私は自分の思う普通の生活がしたくて
普通になりたくてなりたくて仕方がなかった

でも近回りもし、遠回りもし、
一回りして今残っているのは
あの時期、あの年齢で、あの日々を、あの音楽を、
経験させて頂けてよかったという感謝の気持ちだけ

そのすべてが今の自分をつくっているんだと
ちっぽけだけどほんとうに思うし
あの頃あの"世界"の中で一緒に過ごした音楽仲間と
幼かった自分が感じていた複雑で些細な気持ちを
心の中で大切に想う

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